岳本コラム

当コラム欄は、本来であれば岳本先生の手によるご研究やエッセイが出るべきところと思われますが、その“柿落とし”を、一生徒による企画・編集で、先生へのインタビューで飾らせていただくことになりました。岳本先生の生徒の皆さんが、日頃のレッスンのなかで、広範な知識にもとづく奏法や技術のご指導のみならず、先生の片言隻句にまであふれるユーモアと生真面目の不思議な共存に、おおいに楽しまされ、また励まされていることと思います。
そんな岳本先生の魅力をより多くの方々にも知っていただけたらという、生徒の皆さんの思いを代表しての、ロングインタビューです。全5回に分けてお届けいたします。
生徒:太田香保

2015.03.31/岳本先生インタビュー(4)

ピアノ弾く人・ピアノ書く人

■ ピアニスト評定

Q:先生の好きなバックハウスとケンプはかなりタイプのちがうピアニストですよね。それぞれのどこがいいんですか?

T:バックハウス先生は質実剛健で、楽譜に忠実なところが好きです。ベートーヴェン弾きと思われてますが、ショパンのエチュードなんかもすごいですよ。ケンプ教授(1970年代には、武蔵野音楽大学と新芸術家協会が日本へ招聘していて、学内でもリサイタル等が行われ、当時の福井直弘学長は「教授」と呼んでおられました)は穏やかで温かい人間味があって、自然体で、なんと言えばいいのかな。 天衣無縫で生き生きしていると言えばいいのかな。
いま音大の学生にケンプを勧めても、そのよさがわからないみたいと言う話をよく聞きます。やはりナマを聞かないとわからないんでしょうね。「ケンプはナマとレコードではぜんぜん違う」と書いている人がいましたが、ナマで聴くと、即興的というか、インスピレーションがあるんですよ。自由な感じがしますね。
ケンプのリストもいいんですよ。いまピアニストで桐朋でも教鞭を取られておられる須田眞美子先生が室内楽をおやりになられるときに、譜めくりを仰せつかっているのですが、須田先生のお母様から、生前、こんな話を聞きました。ケンプのリサイタルを文化会館で聞いたとき、ピアノのうえに十字架が見えたんだそうです。演奏された曲は「2つのレジェンド」というリストの晩年の傑作で、あのアッシジのフランチェスコとパオラのフランチェスコについて書かれた曲です。それくらい、ケンプ教授のリストはすばらしい。宗教観があって、技巧が見えないくらいなんです。

  • W.バックハウス

    W.バックハウス

  • W.ケンプ

    W.ケンプ

Q:ほかのピアニストについてはどうですか?

T:すごいなと思うのはミケランジェリですね。完璧主義の極みでしょう。曲も吟味して、演奏も本当に洗練されてますよね。音の美しさもドビュッシーなんか弾いたら、もう飛び切りです。あの透明感。ペダルの踏み込み方。でも、ミケランジェリが家で使っているピアノはひどい状態だったそうですよ。本番では、ちょっとでもシャリって音がしたら、「今日は弾かない」って帰っちゃうような人だったのにね(笑)。
ほかには、ホルヘ・ボレット、クラウディオ・アラウ、それからフリードリヒ・グルダ、エドウィン・フィッシャー、そしてアルトゥール・ルービンシュタイン。ショパンはなんといってもルービンシュタインですね。

  • A.ミケランジェリ

    A.ミケランジェリ

  • J.ボレット

    J.ボレット

  • C.アラウ

    C.アラウ

  • F.グルダ

    F.グルダ

  • E.フィッシャー

    E.フィッシャー

  • A.ルービンシュタイン

    A.ルービンシュタイン

Q:男性と女性とではどちらがピアノに向いていると思いますか?

T:なんともいえませんね、これは。日本のピアノ人口の96パーセントは女性でしょう。だからやっぱり女性のほうが向いているのかなあ。だいたいコツコツやるものは女性向きでしょう。ピアノはなんといってもコツコツ練習をやることが一番です。どんなに知識があってもダメですからね。
男性でピアノに向いているというのは、やっぱりミケランジェリみたいに神経の行き届いた演奏をして、かつメカにも強い人という感じでしょうか。もっとも、ミケランジェリまでいくと病的というくらい神経質すぎますけど(笑)。リリー・クラウスとか、アニー・フィッシャーとか、すばらしかったですよ。クラウスは昔の舞踏会のようなペチコートをつけたようなドレスで出てきて、ふわっと椅子に座るんです。なんて優雅な人だろうと思いましたね。そういうグランドマナーも含めてすばらしい人でした。
でも性別の問題というよりも、やはり人間性でしょうね。

  • L.クラウス

    L.クラウス

  • A.フィッシャー

    A.フィッシャー

Q:ピアノのアマチュアとプロの違いって、どういうところにあると思いますか?

T:本来は違いはないと思います。オリンピック選手ってすごい技術があるのに、みんなアマチュアですよね。同じように、ピアノもアマチュア・プロを問わず、やることは同じでなくちゃいけないと思うんです。あとは、音楽でお金をもらっているかどうかの違いしかないんじゃないですか。
ただ、ちゃんとした教育を受けた人とそうでない人とでは、ソルフェージュ能力に違いがあるように思います。音楽大学を出た人はソルフェージュをちゃんとやっているので、やはり土台ができているように思うんです。ただ弾けるということだけなら、アマチュアでもものすごく弾ける人がいっぱいいますが、なにか地に足が付いていないというか、土台ができていない感じがするんですね。結局、これも様式感の問題と関係するんですが、ソルフェージュ能力があるかどうかということが、プロとアマチュアの違いと言えるのかもしれません。
ものすごく微妙な違いなんですけどね。つくった料理は同じでも、調味料が違うというか。「だしの素」じゃなくて、ちゃんとコンブやカツオで出汁を取っているかどうかの違いというか。ああ、そうか、ソルフェージュというのは結局、出汁の取り方なんですよ。こんなこと今まで考えたことなかったけど(笑)。
あとは、一度は受験するというレベルまで弾きこんでいるかどうかとか、学校でものすごい才能のある人たちに囲まれて、厳しい先生からレッスン受けて、イヤな経験をたくさんしてきたという違いも大きいのかもしれない。アマチュアや趣味でやっている人は、そこまでの経験はしませんからね。
でも、ぼくはプロもアマも同じようにやってほしいと思うし、アマでもテンポ感はちゃんと守ってほしい。昔、井内澄子先生がNHKの「ピアノのおけいこ」で、「プロもアマチュアも、やることは同じです」って言ったそうです。名言ですよね。ぼくもそう思います。

  • 田中希代子

    田中希代子先生
    パリ国立音楽院卒業。
    L.レヴィ、安川加寿子、井口基成、L.クロイツァーに師事。ジュネーブ、ロン=ティボー、ショパン国際コンクール入賞

  • 井内澄子

    井内澄子先生
    東京藝術大学及び
    ミュンヘン国立音大大学院卒業。高折宮次、L.クロイツァー、G.アンダらに師事。ミュンヘン国際コンクール第2位

■ 演奏と研究の達成感

Q:演奏活動と研究や執筆活動をずっと続けるのは大変ではないですか?

T:ぼくの場合は、どちらかというと研究のほうが好きだし、比重も大きかったですね。なにしろ、ピアノの部品のひとつひとつを調べたりしてました。いまのピアノにない部品や、いまのピアノにもあるけどかたちが変わってしまった部品、そういうものを見るのが、楽しくて楽しくて、大学を出てからは、ピアノの前にいるよりも、机の前にいる時間のほうがだんぜん長かったです。毎日7~8時間くらい本を読んでました。でもぜんぜんイヤにならない。ピアノに関する本を読むのはぜんぜん苦にならない。新しい発見があるということは、なんといっても楽しいですよ。
でも最近は、そういうことも少なくなりました。タイトル見て期待して買ったのに、読んでみたらガッカリするということばかり。もっと本質的なことを知りたいのに、表面的なことしか書いてないとか、知っていることばかり書いてあるとか。自分が欲しい本は、もう自分で書くしかないんでしょうねえ。

Q:先生から見て、バリバリ弾けて、研究もおもしろい人っていますか?

T:演奏も研究もちゃんとしている人といえば、バドゥラ=スコダ先生ですね。ウィーン3羽ガラスの一人で、特にウィーン式アクションにお詳しいと思います。古い人ですがクロイツァーとか、ブーニンのおじいちゃんのネイガウスとかもいますね。
どちらかというと、研究家としてはすぐれていても、ピアニストとしての価値が下がる人が多いように思いますね。バリバリ弾ける研究者ってなかなかいないんじゃないですか。ぼくも自分のことをピアニストだなんて言いたくありません。子どものころ、ピアニストというのは、バックハウス先生やケンプ教授のような人のことだと思ってたんですが、それはいまも同じですね。そういう域に達してないのに「ピアニスト」なんて名乗りたくありません(笑)。
そりゃあ、研究すれば弾きたくなりますし、自分で弾ければ楽しいですけれども、自分では両方とも中途半端という気がしてならないんです。青柳いづみこ先生が、あれだけお弾きになる方なのに、弾いても書いても「ヘタだな」と思って、ピアノと書斎を行ったり来たりしているという話を書かれてますが、青柳先生の足元にも及びませんが、あの気持ち、よくわかりますよ。
でも、半端だなと思うことを除いては、べつに困ることは何もないですからね。教えることも含めて、ぜんぶピアノにかかわる好きなことですから、苦労も感じない。ただそのせいか、仕事をしているという実感がないんですよ。なんだか好きな趣味ばかりやって、ずっと仕事をさぼってるみたいで、あんまり達成感もない(笑)。

  • P.バドゥラ=スコダ

    P.バドゥラ=スコダ

  • L.クロイツァー

    L.クロイツァー

  • G.ネイガウス

    G.ネイガウス

Q:いままでの演奏で、「これでもう死んでもいいや」って思えるような至福の体験みたいなものは?

T:一回もないですねえ。がっかりしましたか(笑)。たとえば、一音も間違わないで弾けた、というようなことなら、ありますよ。バッハのトッカータを、まったく間違わずに弾けたことがあります。でも聴きにきてくれた友人から「つまんない演奏」と言われちゃいました。間違わないで弾けたと思ったのに、すごいショックでしたよ。コンチェルトをやったときも、失敗したから達成感はなかったですし。うまくいったと思えたことなんて、一回もないです。
もちろん、瞬間的には「ああ、できた」と思えることはたくさんありますよ。何百回とあります。全体はうまくいっていなくても、部分的な達成感ならね。自分で「ああ、こんなにキレイな音が出てる」とか。でもそんな瞬間的な達成感だけじゃ、お客さんには迷惑でしょう。普通は、1カ所でも「商品」に疵があればサギです。ミスタッチなんて絶対にあってはいけないことです。歴史的なピアニスト以外は、許されないことです。最低限、間違わないで弾くことが当然です。
でも、そう思い続けても、この47年やりつづけて、1回も間違わなかったのは、いままでバッハのトッカータだけですからねえ。

J.S.バッハ:トッカータ ホ短調 BWV914

J.S.バッハ:トッカータ ホ短調 BWV914

Q:大ピアニストでも、まったく疵がない演奏なんてマレじゃないんですか?

T:ぼくが思うに、この世でミスタッチが許せるのは1世紀に10人程度でしょうか。ケンプ教授はもちろんその一人ですよ(笑)。ミスタッチが許されるのは、ああいう境地の人だけです。
それと、間違い方にもレベルがあるでしょう。4回転ジャンプを失敗することと、1回転ジャンプを失敗することとはぜんぜん違う。大技に挑戦しているわけでもないのに間違えたら、本当にどうしようもないですよ。でも、どうでもいいところで間違うものなんですよね。ピアノって。皆さんそう言いますね。いつも弾いている曲なのに、出口がわからなくなって堂々巡りするとか。とくにバッハはそうなりやすい。だからこそ、バッハを間違わないというのは、それなりに大きな達成感のはずなんですけどねえ。

Q:その点、研究のほうは、一点もやり残しがない?

T:うん、そうですね。楽器のことについても、やり残しはないですね。やっぱり研究のほうが達成感は大きいかな。これ以上、見る文献はないというところまで来られましたしね。最初の本『ピアノを読む』を出したときに、すでに大きな達成感がありましたし。とくにピアニストの系譜をモーツァルト、クレメンティ、ベートーヴェンの3人からぜんぶ追ったことは、よくあれだけのことをやったなと自分でも思います。当時はそういうものをつくっている人は誰もいませんでしたから、あとから出た本にはずいぶんぼくのつくったものが使われたようです。

  • .A.モーツァルト

    W.A.モーツァルト

  • M.クレメンティ

    M.クレメンティ

  • L.v.ベートーヴェン

    L.v.ベートーヴェン

Q:そういう研究活動に必要な資質って何かあると思いますか?

T:どうなんでしょう。ぼくの場合は、立体的に物事を把握するのは、得意かもしれません。物事の奥行まで、とにかく全部をよく見ているという感じでしょうか。「瞬間的によくそれだけ見ていますね」というふうにしょっちゅう言われます。「さっき見たあそことあそこは、ああなっていたね」みたいな話をしてよく驚かれます。
かといって重箱の隅をつつくように見る、というのとも違うんです。よくそういうレッスンをする先生もいるんですが、あまりぼくはそんなふうにはしてないと思うし、このあいだもある生徒さんから「先生はあんまりうるさくないからいい」って言われました。それっていいことなのかなあと考えこんじゃいますけどね(笑)。
部分だけ見るということが好きじゃないんですよ。たとえばベートーヴェンのソナタは全部で35、6曲あるんですが、そのすべてを知りたい、見たい。自分がやっているものだけ見るというのがイヤで、全部を把握していないと気がすまない。ある時代のことを知れば、その前後も気になるし、その時代が歴史のなかのどういう位置にあるのかということをつねに立体的に見ておきたい。

ピアノ・ソナタ

L.v.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ

Q:音楽そのものも立体的にみているんですか?

T:音楽は立体でみるものだと思います。ちゃんと設計図があって、時間できちんと動いていくものでしょう。立体感のあるものですよ。とくにベートーヴェンなんてとくにそんな感じがします。「ワルトシュタイン」の楽譜なんて建物の設計図のように見える。音で家を建てられそうな感じがしますよね。 もちろんショパンも土台のつくり方がすごいです。でも、ベートーヴェンに一番それを感じますね。

ワルトシュタイン

L.v.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタハ長調作品53「ワルトシュタイン」

Q:そういう「設計図」が見えるものにより惹かれますか?

T:べつに設計図ぽくなくても惹かれるものはありますよ。シューベルトなんかには、ある意味あまり土台を感じないですし。でも土台があるかないかは大事でしょう。なんといっても、三大Bのバッハ、ベートーヴェン、ブラームス。この3人は、床下がしっかりしているといいますか、音も「点」じゃなくて、奥行きがあって、高さもある。そんな感じがします。
「響き」も奥行や高さが関係するんですよ。よくレッスンのときに「立体的な響きを」というふうに言うんです。音を立体的に、と言っても抽象的でなかなかわかりにくいと思うんですが、それを感じられるかどうかが大事なんですね。

  • F.シューベルト

    F.シューベルト

  • J.S.バッハ

    J.S.バッハ

  • L.v.ベートーヴェン

    L.v.ベートーヴェン

  • J.ブラームス

    J.ブラームス

Q:先生は楽譜のことにもかなりうるさそうですね。

T:楽譜も大好きですよ。弾けなくても、見るだけでいい。装丁を見ているだけで幸せだし、前に使った人の書き込みがあったりすると、それがまたいいんです。「1900年」なんて書き込みのある楽譜をみては感激するんですよ。ああ、どういう人だったんだろう、どういう人生を送った人だったんだろうって、いろいろ思いめぐらすわけです。霊が憑きそうですけどね(笑)。
ウィーンにいい楽譜の古本屋があったんです。表紙の花の飾り罫とかを見ただけで、「このシューマンは第2版」なんてことがすぐにわかるおじさんがいましてね。そこにしょっちゅう行ってました。「好きなように見ていいよ」って言われて、店の端から端まで置いてある楽譜を見せてもらった。しまいにはもう買うものもなくなっちゃいました。めぼしいものはほとんど買ってしまったから、ありきたりなものしか残ってなかった。最後は量り売りで売ってもらいましたよ(笑)。

シェーンブルン宮殿

ウィーン:シェーンブルン宮殿

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