日本J.N.フンメル協会

現スロヴァキア出身の偉大なピアニスト・作曲家で、モーツァルトの内弟子であるヨハン・ネポムーク・フンメルの功績を継承するために設立されました。

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当コラム欄は、本来であれば岳本先生の手によるご研究やエッセイが出るべきところと思われますが、その“柿落とし”を、一生徒による企画・編集で、先生へのインタビューで飾らせていただくことになりました。岳本先生の生徒の皆さんが、日頃のレッスンのなかで、広範な知識にもとづく奏法や技術のご指導のみならず、先生の片言隻句にまであふれるユーモアと生真面目の不思議な共存に、おおいに楽しまされ、また励まされていることと思います。
そんな岳本先生の魅力をより多くの方々にも知っていただけたらという、生徒の皆さんの思いを代表しての、ロングインタビューです。全5回に分けてお届けいたします。
生徒:太田香保

2014.09.29/岳本先生インタビュー(2)

ウィーン愛とベーゼンドルファー
  • オーストリア国旗

    オーストリア国旗

  • ベーゼンドルファー

    ベーゼンドルファー

■ フンメルとの出会い

J.N.フンメル

J.N.フンメル(1778-1837)

Q:先生がフンメルに関心をもつようになったきっかけは何ですか?

T:大学時代に、授業でフンメルのコンチェルトを聞いて好きになりました。ぼくはもともと、あまり知られてない人に惹かれるようなところがありまして、音楽も有名な曲よりもマイナーなものに惹かれるんです。ベートーヴェンのコンチェルトでも、5曲あるうちの、誰もやらない2番をやりましたし、弾きたい曲は大作曲家でも人のやらない曲ばかり。中学時代から毎日が音楽三昧でしたから、いろんな曲に触れる機会があるわけです。「ああ、こういう曲もあるんだ」「もっといい曲があるじゃない」ということがいっぱいあるんですよ。

Q:フンメルのどういうところが好きなんですか?

T:たとえばフンメルと比較しますとベートーヴェンの曲はものすごく構造的で、ほとんど和音の塊で、ある意味メロディーがないんですね。先日、葉加瀬太郎先生も同じことをおっしゃってました。歌いこんでいくような、心が張り裂けるほど感動するような美しいメロディーがないし、あんまりロマンチックじゃない。それに対してフンメルはベートーヴェンとは対極的で、ほとんど歌いっぱなしなんです。歌いすぎて、メロディーを入れ過ぎて、自滅しちゃうようなところがある。でも、そういところがなんとも好きですね。
おもしろいエピソードがあって、当時、ベートーヴェンのファンクラブの人たちはフンメルのことを「機械仕掛けみたいだ」とけなしたそうです。一方、フンメル派の人たちは「ベートーヴェンなんかメロディーがないじゃないか」と言って、ウィーンの街角でののしりあったそうですよ。
フンメルの長調と短調の入り混じる感じも好きですね。長調から短調へ、短調から長調へつぎつぎ変化する。同時代にソナチネをつくったクレメンティとかクラマーとかもすばらしいけど、フンメルがやっぱり好きですね。
じつは、フンメルの曲って膨大にあるうえに、難しいんですよ。音符の数がものすごく多いので、弾きにくい。完璧に弾くのは無理なくらい。一楽章だけならいいけど、他の楽章は演奏不可能、というような曲ばかり。それくらい技巧的なんです。フンメル自身が、そうとう弾ける大ピアニストでしたからね。ショパンも、バッハ、モーツァルトとともにフンメルを尊敬していました。リストもシューマンも、フンメルにピアノを習いたがったくらいです。

ピアノ・ソナタ作品81第3楽章

ピアノ・ソナタ作品81第3楽章

Q:それほどの人が、なぜ日本であまり知られなくなってしまったんですか?

T:やはりあまりにも難しいからでしょうね。それと、時代の流行というものもあるんですよ。いまの時代に残っている作曲家は、ある意味で普遍的な曲をつくることができた人たちなんですね。洋服でも100年間かたちが変わらないもの、時代が変わってもスタイルが生きているようなものってありますよね。そういう時代が変わっても生き延びる曲をつくった作曲家が、いまでも演奏され続けているわけです。
でもフンメルの場合は、あの当時の様式感がものすごく強いんです。だからあの時代に戻って入っていこうとしない限り、なかなか理解できない。リストが自分の同時代に流行していたオペラを演奏会用に編曲していますが、そういうものにも近いところがある。その点、ベートーヴェンなんかは時代の先を見越していたんでしょうね。

Q:先生の恩師のバロヴァー先生というのはどういう方ですか?

バロヴァー先生と

バロヴァー先生と

T:国際フンメル協会の会長で、フンメルはもちろんですが、ベートーヴェンの研究家でもあります。大学を出てから、バロヴァー先生に弟子入りをしました。会いに行ってすぐに「弟子にしてくれますか」と言ったら「いいですよ」と言ってくれたんです。ベートーヴェンのコーヒー豆の挽き方のことまで、見てきたように詳しくいろいろと話してくれる方でした。マンツーマンの授業でしたが、通訳の方がいつもヘトヘトになるくらい時間を延長して講義をしてもらいました。
バロヴァー先生から教わったことで一番びっくりしたのは、ヨーロッパの国々が、しょっちゅう国境が変わるという歴史を経てきたことですね。そのなかで音楽家たちの人生も翻弄されていくわけですよ。日本の歴史感覚だと、このあたりはわかりにくいですよね。だから、先生からはよく「なぜあなたは国名で言うんですか。ちゃんと地名を言いなさい」って言われました。「ハンガリー」とか「スロバキア」とか言っていては、何も見えてきませんというふうに、しょっちゅう言われました。
それから、先生について、ウィーン式の楽器について学べたことも大きかったです。これも日本では勉強できないことですからね。音楽大学でも教えてくれない。ベートーヴェンが使っていたピアノのこととか、そういうことを詳しく学べたのが一番の成果でしたね。 とくにフ ンメルは、当時のウィーン式やイギリス式のピアノで弾かないと、よさがわかりにくいんですよ。本当はベートーヴェンにも同じことが言えるんですが、とくにフンメルはそうです。鍵盤の軽くて浅いウィーン式のピアノでないと効果が出ない。いまのピアノのように腕の重さをあまりかけられないので、脱力ともまた違う、けっこう指を使う奏法が必要なんです。
先生にフンメルの演奏を聞いてもらうこともありました。先生のお気に入りの曲を弾くと、いつも「じょうずね」って喜んでくださって。バロヴァー先生との日々は本当に楽しかったですね。ぼくもまだ若くて熱心でしたし、ものすごくかわいがっていただきました。

■ なぜベーゼンドルファーなのか

インペリアルモデル290

インペリアルモデル290の拡張された鍵盤

Q:先生はなぜベーゼンドルファーを選ばれたんですか?

T:それはやっぱり、ウィーンの楽器だからです。ウィーンが好きですし、あのハプスブルク家の双頭の鷲の紋章の入ったピアノが、どうしても弾きたかった(笑)。
自分でもウィーンに関係した作曲家たちの足跡を訪ねて回りました。ベートーヴェンの住んでいた家から葬儀をやった教会まで、ソナタを献呈したお嬢さんの家も、ウィーンの隣の国のスロヴァキアは、バロヴァー先生に案内していただき、ソナタ4番がつくられた家、『月光』や『熱情』にちなむ場所とか、ベートーヴェンゆかりのところはほとんど行きましたよ。モーツァルト、ハイドン、リストといったウィーンに関係のある作曲家たちの足跡も。ドイツは行ってないんですが、リストの生まれた家にも行きましたし、別の地域になってしまいますがベルギーに行ったときは、元貴族のお屋敷の当主から、「隣りのお屋敷がモーツァルトの泊まったところです」という話を聞いて、それはそれは感激しました。
そういう体験をしてきましたので、どうしてもウィーン式のルーツを持つ楽器が欲しかった。ベヒシュタインやスタンウェイがすばらしい楽器だと十分に分かっていましたが、どうしてもハプスブルクの紋章がついたベーゼンドルファーが欲しかった。

Q:初めてベーゼンドルファーに出会ったのはいつですか?

T:中学生のころに、今は閉館してしまいましたが銀座線の外苑前の近くにあった「青山タワーホール」というところで見たのが最初ですね。偶然ですがベーゼンドルファーを初めて弾いたのもこのホールでした。1980年大学を卒業した年にシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」を弾きました。
エクステンドキーの付いた97鍵のインペリアル・モデルでした。あのアールデコの太い足とか、「Bösendorfer」の「o」のウムラウトとか、すごくカッコいいと思った。当時はまだほとんど日本 に入ってきてなかったですからね。もちろん学校にもない。
ただ、ベーゼンドルファーは、それこそ「脱力奏法」で弾かないとコントロールが難しい楽器です。まだ、「脱力奏法」を習得する前でしたので、なかなか鳴ってくれなくてものすごく弾きにくかったです。自分で買う時にはかなり迷いました。というのもほぼ100%のホールがスタンウェイを設置していますので、スタインウェイで練習した方がいいのではないかと迷いました。最後にスタンウェイに決めてハンコを押すところまでいって、やっぱり迷って、もう一度ベーゼンドルファーのショールームに行って、「やっぱりこっちかな」と思い直したんです。

Q:弾きにくい楽器を選んで苦労されませんでしたか?

T:本当に正直な楽器ですよ。ベーゼンドルファーは、ハンマーを弦に的確に当てないといくらがんばっても、「ヘタクソ、ヘタクソ」って言われてる感じがする。レッスンで生徒の皆さんも苦労されてますね(笑)。
でも、ベーゼンドルファーを選んだ理由はほかにもあるんです。じつはぼくは大学時代までの長いあいだハイフィンガーの先生ばかりに習いました。ただ一つの例外は、完璧な脱力奏法だった武蔵野音楽大学の45歳で亡くなられた髙橋誠先生(ウィーン音楽大学卒業、ハンス・グラーフ門下)だけです。他の先生方はハイフィンガーでしたので、腕にすごく力の入る弾き方をしていたんです。そのせいで、とうとう右手が腱鞘炎になってしまった。卒業後、右腕が包帯でぐるぐる巻きで使えないので左手だけで演奏をしたこともありました。そこまでひどくなっていた。髙橋誠先生に師事したのは、受験の時と、入学後は大学4年になってからでしたので、さあこれから脱力奏法を本格的に教えて頂こうと思ったときに先生は亡くなられた。
それでご紹介頂いた先生に脱力奏法を習うことにしたんです。このようないきさつでベーゼンドルファーを選んだんです。
あとやっぱり人と違うものが欲しいということも大きかったかな。当時ベーゼンドルファーは創業してからまだ5万台くらいしかつくってないんです。スタンウェイは50万台、ヤマハは500万台でしたが、ベーゼンドルファーには滅多に当たらない。
それと、大好きなバックハウス先生が使っていた楽器でもある。バックハウス先生は西ドイツ以外の録音はぜんぶベーゼンドルファーで弾いてます。もちろんご自宅でもベーゼンドルファーのインペリアル・モデルでした。日本に来たときも、どんなに悪い状態でもいいから慣れた楽器のベーゼンドルファーで弾きたいと言ったそうですよ。

■ 「好み」と「向き」はずれるもの?

Q:脱力奏法というのは学校では教えてもらえないものなんですか?

T:19世紀のリストのことを考えればわかると思いますが、彼は学校には行ってません。にもかかわらず、正しい奏法を習っていた。当時、学校に行った人はみんなハイフィンガーを教えられた。ムチをもった先生が、指を一本一本あげて弾くような練習法を厳しく教えたわけです。手の甲にコインを置いて、それを絶対に落とさないように弾くというやり方ですよ。ロン=ティボーコンクールで有名なマルグリット・ロンなんてすごいハイフィンガーで、コルトーが指を伸ばして弾くのをすごく嫌がったという有名な話があります。
ヨーロッパではいまではさすがにそんな教え方はしませんが、日本がいちばんひどかったんですね。ヨーロッパの教え方に和洋折衷して日本流のハイフィンガーを加えて教えていた。日本人は、いかにも努力して一生懸命やっています、ということが好きでしょう。そういう無理な弾き方を長いあいだやらせてきたわけです。
でも、脱力が大事だということが世の中で言われ始めたのは、せいぜいここ10年くらいなんですね。ぼくの大学時代まで、「脱力」なんて言葉すら使われていませんでした。「肩の力を抜いて」といったことは言われましたけど、どうやればいいのかは、よくわからなかった。先生も教えてくれないし、やっぱり指を立ててガリガリ弾く人のほうが上手と思われていた。しかし安川加寿子先生は、緩んだ手で弾いておられた。 いまでも、自分で「このままではまずい」と気がついた人だけが、慌ててぼくのところにレッスンに来てるんでしょうね。とくにプロの皆さんがそうやって習いに来られます。

  • マルグリット・ロン

    マルグリット・ロン

  • アルフレッド・コルトー

    アルフレッド・コルトー

Q:このあいだの年末の発表会では、ショパンとリストを弾く人が多かったですね。とくにリストを弾く人が多いのでびっくりしました。

T:ぼくがリスト好きということもありますけど、リストは脱力を教えやすいということもあるんですね。ショパンはポジションを変えながら、螺旋に回転して親指を飛び越したりくぐらせたりして弾いていく曲が多いんですが、リストはタテの動きが多くて、ショパンほど捻りが入らない。手のポジションが採りやすいんです。もちろん手のスパンが大きくないとリストは大変ですが、ある意味でショパンよりも弾きやすいですよ。演奏すると派手ですしね。ショパンのバラードや練習曲のほうがよっぽど難しいです。リストの練習曲よりも、ショパンの練習曲のほうが圧倒的に難しい。
今年は少し気が変わって、ドビュッシーをやろうかなと思っているんです。以前からドビュッシーが「向いている」って言われてたんですが、フランスものにはあまり関心もなかったし、ずっと避けてきた。でもこのごろやっと、「いい感じかも」と思うようになったんです。だから今年は皆さんにもドビュッシーを勧めてます。

Q:自分の好みと、人から「合う」と言われるものってズレるものなんですか?

T:「好きなもの」と「向いているもの」はズレることが多いでしょうね。でも、声と同じで、どんなに好きでもその人に向いてないものもあるんですよ。人間の声帯は変えられませんから、ソプラノの人にはバスの曲は歌えないし、テノールにはバリトンは歌えない。それと同じように、ピアノにもそれぞれもっている音質の違いがあるんです。それがわかっていても、やっぱり好きなものをやりたいと思っちゃうんですけど、演奏会では好き嫌いはさておき「向いている」曲を弾かないと恥かいちゃいますよね。

Q:ちなみに、先生の好みとはべつに「向いている」と言われてきたのは誰ですか?

T:ウェーバーです。いままでずっと、歴代の先生がぼくにウェーバーをやらせてきた。とくに試験とか大事なときに。自分でも合っているのかなって思いますね。
ウェーバーって、一言でいえばきんきらきんなんですよ。ある意味表面的で、内容があまりない金メッキみたいな曲です(笑)。でも、どうもそういう技巧的な曲が自分には合っているようです。自分でもそういう曲がキライじゃないですし。
1851年に作られた『乙女の祈り』とか 1861年に作られた『銀波』みたいな曲も大好きなんですよ。1830年代から60年代、ショパンが死んで10年くらいまでの時代、貴族のお嬢さんたちが嫌々練習していたような曲ですね。みんなそういう曲を嫌がりますけど、本当はそういう曲のほうがピアノのよさが出るように思うんです。ピアノらしい曲と言いますか。
『乙女の祈り』なんて最高にいいですよ。フラット5つで、ショパンのいう指の基本ポジションがとりやすいし、アマチュアが弾きやすいように書かれていますからね。

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